2010年06月12日
[『ハムとダチョウと行政書士。』]

傷付くことの大切さ。

昨日は家庭訪問でした。

家庭訪問期間に先生の出張が入る為、一日で回る家庭は多めで8軒。

うちは最終で5時過ぎから。

まっ、話好きな先生だから覚悟はしていましたが、実際は遅れて6時スタート、6時半終了でした。

先生もお疲れさまです。

娘の様子など色々お聞き出来て良かった。

その中で、興味深いお話を聞きました。

「いじめ」について話題になった時です。

先生曰く、

「今現在、いわゆるいじめみたいな状態は感じられない。

ではいい状態という訳ではなく、お互いにお互いが無関心なことが気になる。

自分は自分、人は人。自分が良ければいい。そういうところが気になる。」

それは確かに感じることがあります。

もちろん、みんな昔と変わらない、子供は子供。

わいわい騒ぐし、はしゃぐし、いたずらもするし、とってもかわいい。

でもその一方、自分たちの時代に比べると、いい意味でも悪い意味でもスマートだと感じることがある。

泥臭さとか無鉄砲とか、そういう部分がいい意味でも悪い意味でも少ない。

傷付くことを、失敗することを上手にかわす、そんな一面を感じます。

そしてよく言われる事ですが、指示がないと動けない子が多い。

先生も、「自分で考えて失敗することを避けているのかもしれない」とおっしゃっていました。

うちに遊びに来てくれる子達もよく、「何して遊んだらいいと思いますか?」と聞いてくる。

それぐらい自分たちで考えなさい、といつも答える。

先生が興味深い話をしてくれました。

学校生活に必ずある、席替え。

自分たちで好きにグループを作って自分たちで席替えをしてみなさい、とさせてみる。

そうすると、どうしても一人残される子、仲間に上手く入れない子が出てしまう。

長い人生、おそらく誰でもそうやって仲間に入れない寂しさってどこかで経験してますよね。

あれは本当に本当に辛いですよね。悲しいですよね。

先生方はそういう思いを一人でもさせたくないから、この頃はくじ引きや先生が決めることが大半。

「でも、なんです。」と先生がおっしゃっていました。

そういう一人になる経験、一人にさせた経験、そしてその子の事を思い遣ることを教える機会がなくなる。

傷付く事、その痛みを知る事が出来なくなる。

そうすると、傷付く事を怖がる、傷付かない様に避けてしまう、そして人を傷付ける痛みを知らないままになる。

娘が1年生の時、家庭訪問で担任の先生がおっしゃった事がとても印象に残っています。

この先生は大変ベテランの先生でした。

「お母さん、悪意ではないなら、娘さんがお友達を傷付たり傷付けられたりすることを止めないで下さい。

娘さんがお友達に嫌がられたり、嫌われたりするのを勉強させてください。

そこで娘さんは大きく傷つくでしょう。その時、お母さんがフォローして下さい。

そうやって覚えた事は一生忘れないはずです。」

もちろん、いじめは絶対にいけない。絶対に。

暴力もここでは別問題。

故意に人を傷付けては絶対にいけない。

でも。

難しい事だけど、傷付く事も傷付ける事も学ばなければならない時がある。

そのタイミング、程度、そしてそのフォロー、とても難しいけど、大人もそれを避けてはいけない。

ayaaya-san